立ち読みコーナー
目次
288ページ
プロローグ       5
1 秘密の逢瀬     12
2 淫夢        45
3 秘密の宴      89
4 婚約者候補     128
5 夢から覚める時   176
6 寝ても覚めても   220
エピローグ       279
あとがき        285
「お嬢様、開けてもよろしいでしょうか?」
「ど、どうぞ」
 残念、時間切れだと諦めて、入室を許可する。ドアを開け入ってきた彼は、いつもの制服姿ではなかった。
 普段は真鍮のボタンがついた丈の短い上着とベストを身につけているが、今は私服なのかジャケットを羽織っている。前髪も少しばかり崩れ、平素の堅苦しさが緩和されていた。
「……旦那様が、仕事着では行くなと仰せなので……」
 まじまじとセオドリックを見つめてしまったリネットの視線から逃れ、彼が言い訳めいた口調で呟く。気恥ずかしそうに口ごもる様子は、珍しい。何よりも微かに赤らんだ彼の耳に気がつき、何故かこちらまで照れくさくなってしまった。
「よ、よく似合っているわ。セオドリックの普段着を見たのは久しぶりだから、少し驚いてしまったの」
 前髪をおろすと彼は僅かに幼く見える。いや、年相応と言うべきかもしれない。落ち着き払った鋭い眼差しが遮られるせいか、とても印象が変わるのだ。だが、リネットが動揺したのは、見慣れない彼が素敵だったからだけではない。夢の中のセオドリックとあまりにも重なったからだ。
 妄想の中でしか知らないはずの彼と、今のセオドリックはほとんど同じだった。微かに朱を刷いた頬も同じ。冷静沈着な昼間の彼とは違う、色香に溢れた『男』の姿。声さえも必要最低限の受け答えしかしてくれない素っ気なさとは比べものにならない。どこか人間味が溢れていて、リネットを戸惑わせるには充分だった。
「い、行きましょうか」
 冷静を装って、彼の横を擦り抜けようとした瞬間、リネットの腕はセオドリックに掴まれていた。
「……きゃっ……?」
「失礼。お嬢様、とても愛らしい格好ですが、イヤリングをお忘れではありませんか? そのドレスでしたら、去年旦那様から誕生日に贈られたものが合うと思います」
「……ぁ、どうしてそれを……」
 セオドリックが提案したアクセサリーは、まさにリネットがつけ忘れたと考えていたものだった。
「……その、驚いたわ。貴方が私の持ち物を、詳しく記憶しているなんて」
「——私が、貴女について知らないことなどありません」
 きっぱりと言い放たれた彼の言葉の意味を、リネットは問うことができなかった。やんわりと背中を押され、先を促されたからだ。
「行きましょう。もたもたしていては日が暮れてしまいます」
 そう言いつつも、セオドリックは素早くメイドに指示を出し、イヤリングを用意させた。
「痛かったら、言ってください」
 背の高い彼は姿勢を屈め、リネットの耳たぶに触れてくる。彼の長い指が肌を掠めた瞬間、大きく心臓が高鳴った。
「……っ」
「動かないでください。すぐ、終わりますから」
 整ったセオドリックの顔が、すぐ目の前にある。至極真剣な彼の眼差しは、リネットの耳朶に注がれていた。手にしたイヤリングをつけようとしているのだろう。万事において器用な彼だが、女の耳たぶに装身具を嵌めるという行為は慣れないのか、手間取っていることが伝わってくる。
 時間にすればそう長いものではない。けれども、リネットにとっては永遠にも等しく感じられた。
 こんなに至近距離でセオドリックと顔を合わせるのは、稀すぎて気恥ずかしい。あと少しずれれば唇が触れてしまうのではないか。吐息の微風と熱を感じ、リネットの体温は急激に上昇した。
「あ、あのっ……」