立ち読みコーナー
目次
272ページ
ポイズン公爵のメシマズ嫁     5
あとがき             266
135ページ~
「さあ、どうぞ」
「うむ」
 まずは卵料理から。
 ヒルデリカの料理は微妙な臭いがする。美味しそうな匂いとは言い難い。どうしてこんな臭いなのか首を傾げるところだが、匙ですくって一口食べれば、味は文句なしなのだ。もう手が止まらない。臭いなど瑣末なことだ。一気に 食べ切ってしまう。
 次は仔羊のロースト。かりっと焼かれた骨付き肉に、ハーブとマスタードを練ったパテが分厚く塗られている。
 骨の部分を持って齧りつくと肉汁が口の中に広がる。塗られたパテと混ざり合って旨さが倍増する。絶品だ。
「ん、旨い」
「初めてのお台所なので、勝手が違って戸惑ってしまいました」
「いずれ慣れる」
 行儀が悪いと思いつつ、指についた肉汁を舐める。水を張ったボウルは用意されていたが、洗い流すなんてもったいない。
 餌を前にして涎を垂らす犬を見て、どれほど利口でも動物なのだと思ったことがあったが、自分も犬となんら変わらないのではないか。
「ローエン様、あちらにエドモンがいるのですが」
 手を休めて、さり気なく視線だけ流す。確かにエドモンが食堂の中の様子を窺っている。
 エドモンだけではなかった。その後ろには執事ランダルの姿が、さらに、そのまた後ろには、バリアス家の台所頭や使用人の影がいくつも重なっている。
 覗き見されているのに、食べるのに夢中でまったく気づかなかった。皆、一様に、あんぐりと口を開けている。
「エドモン。覗きが趣味になったか」
 声をかけると、エドモンは俄かにうろたえて挙動不審になった。その間に、後ろにいたランダルは汗顔の至りという顔で一礼し、さっと身をひるがえして姿を消した。台所頭と使用人たちは、ローエンがエドモンに声をかけた瞬間、すでに消えている。どんくさいエドモンだけが逃げ遅れたのだ。
 後ろを振り返り、自分しかいないことに気づいたエドモンは言い訳をするも、しどろもどろだ。
「ヒルデリカの手料理を食べたいのか?」
 形ばかり誘ってみる。
「すぐに用意するわ。こちらに座って」
「めっ、めっそうもない!ヒルデリカ様の手料理をいただくなど、とんでもないことです。私のことはお気遣いなく!」
 ヒルデリカが誘うも、エドモンはぶるぶると頭を振って、強硬に固辞する。
「では、何用だ」
「偶然こちらを通りかかったのです」
 両手を前に出し、後ずさって視界から消えた。
 バリアス公爵家の品位が、とかなんとか私には口煩く言うくせに、自分は覗きか。
 壁際で控えている給仕係の二人は、この場から去りたい空気を醸し出している。下がれと言う代わりに、ローエンは軽く右手を振った。
「手伝ってくれてありがとう」
 後ほど片づけにまいりますと膝を折って挨拶し、ワゴンを押してそそくさと出ていく。
「まったく、何をしているのか」
 エドモンだけでなく、執事や台所の使用人たちまでが食事風景を覗きに来るなど初めてだ。
「私の格好がよくないのかしら。動きやすくて楽なのだけど」
 ヒルデリカは自分の姿を見下ろした。自分を見に来たと思ったようだ。
 自ら編んだという髪はぴこぴこ跳ねている。料理をするための服装は質素で地味だ。しかし、バリアス家は質素が身上だ。これで十分だし、煩いエドモンも文句はないはずだ。
「皆は、伯爵家の令嬢だった君が、料理するのが珍しいのだよ」
「なんだがすごく驚いているみたいだったから…」
 今朝方、使用人が一堂に会した場で紹介したから、ヒルデリカ見たさで覗きに来たのではない。
 目的は私なのだとローエンは思った。
 味覚障害になって食事が苦痛になっても、出された半分は食べるように努力してきたが、ローエンの食の細さは周知の事実だった。手を変え、品を変え、台所頭は試行錯誤して料理をしてくれるが、不味いとしか感じないのだからローエンにもどうしようもない。
 ヒルデリカの料理をどのくらい食べるのか、台所頭は気になって見に来たのだろう。そして、大食する主に驚いたのだ。
 鳩が豆鉄砲を食ったような顔とは、ああいう顔を言うのだな。
 執事まで覗きに来ていた。叱らなければならないのだが、皆の間抜け面を思い出すと噴き出しそうになる。