- 目次
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プロローグ 5
一章 秘めた片恋 9
二章 変わり始めた関係 48
三章 女性恐怖症の克服 87
四章 それぞれの思い 120
五章 すれ違う心 141
六章 皇帝陛下の甘い寵愛 165
七章 誰にも切れない絆 188
エピローグ 幸せな未来へ 213
あとがき 217
「お兄さま、おはよう。朝ご飯の時間よ!」
どんどん、と元気よく扉を叩き、ルフィーナは部屋の中へ呼びかけた。
白樺の扉には美しい待雪草と、複雑な蔦の紋様が彫り込まれている。
天使の落とした涙を思わせる待雪草の清純な白い花は、ルクス皇国の国花だ。別名を『雪のしずく』と言う。初代皇帝が最も愛した花とされ、エゼルキア宮殿の随所にその意匠が使用されている。
「ユーリーお兄さま?」
返事がないのを確認し、再び扉を叩いたルフィーナだったが、返ってくるのは静寂ばかり。
どうやら皇帝陛下は、まだ夢の中らしい。
「もう……。また夜更かししたのね」
ふう、と小さくため息をつきながら、ルフィーナは眉間に皺を寄せた。
若き皇帝として多忙を極める生活ということはわかっているが、ユーリーは働きすぎだ。
時には書類の山に埋もれて眠っていることさえある。
真面目なのは大変結構だが、もっと自身を労ってほしい……と思う。
「お兄さま、起きて! 朝食が冷えてしまうわよ!」
今度は結構な大声であったにもかかわらず、やはり返事はなかった。
とうとう痺れを切らしたルフィーナは、バン! と大きな音を立てて扉を開いた。
重い窓掛けを開けて室内を陽光で満たすと、窓を開けて冷たい空気を取り込む。窓辺に置いた植木鉢の中で、勿忘草が寒そうに震えていた。次にずかずかと寝台に歩み寄り、白い羽毛布団の膨らみを容赦なく揺さぶる。
まるで繭のようだ。すっぽりと頭まで布団を被ったユーリーは、恐らく中で蚕さながら丸まっていることだろう。
「お、に、い、さ、ま!」
一音一音、区切るように呼びかけながら、ルフィーナは繭——もといユーリーを揺さぶり続けた。
その内、くぐもった呻き声と共に布団がもぞもぞと蠢き始める。しばらくそのもぞもぞは続き、やがてのっそりと、頭だけが出てきた。
繰り返されるまばたきの末、重たげな瞼の向こうから明るい緑色の瞳が現れる。宮殿の宝物庫にあるエメラルドもかくや、というほどの輝きだ。
「……おはよう、ルーナ」
「おはよう、お寝坊さん。よく眠れたようで何よりだわ」
「気を抜いたら、上瞼と下瞼がひっついてしまいそうだよ……」
ふぁぁ、と大きなあくびをしながら、ユーリーが冬眠明けの熊のようにゆっくりな動きで、布団から這い出す。
ルクス人の特徴を余すところなく体現した、濃い金色の髪やきめ細かな白い肌。一糸纏わぬしなやかで筋肉質な身体は、朝日を浴びてまぶしいほどだ。
寝起きであっても、ユーリーの彫像のごとき美しさは少しも損なわれない。
それどころか、寝起きのけだるさがまた得も言われぬ色香を醸し出しているほどだ。
あっ……無理……。
もはや神の采配とも言える美しさに、ルフィーナは心の中でひれ伏した。
全裸とはいえ、下半身が布団に隠れているのは幸いだった。もしすべてをさらけ出されていたら、きっと失神していたことだろう。
しかしルフィーナはそんな動揺を寸分も表に出すことなく、さも「わたしは平静です」と言わんばかりの態度を保った。
我ながら名女優だ。今年度の主演女優賞が貰えるかもしれない、と思いながら、寝台脇に置いてあった衣類を手渡す。
「さあ、着替えて。風邪をひくわよ」
「布団から離れたくない……。司祭を呼んできてくれ。私は布団と結婚するよ……」
布団をぎゅっと抱きしめる二十も年上の男を、ルフィーナは呆れ顔で見つめた。
太陽神に愛されたかのごとき美貌はもちろんのこと、熱心に政務に励む姿や、凜とした立ち居振る舞いに惹かれる女性は数知れず。
しかし、そんな麗しの皇帝陛下のこの残念ぶりを知ったら、きっと国中の婦女子たちが大いに嘆くことだろう。
「馬鹿なこと言ってないで、早く食堂に行くのよ」
「眠い……なんだかとっても眠いんだ、ルーナ……」
「だからいつも仕事は程々にって言ってるでしょう。自業自得よ。わたしは外で待っているから、早く着替えて出てきてちょうだい」
そう言い置いて、ルフィーナはさっさと部屋を後にした。
背後でまだユーリーが四の五の言っていたが、聞こえないふりをして扉を閉める。
そして。
「——!」
自分でもよくわからない奇声を発しながら、真っ赤な顔でその場にへたり込んだ。
目の毒だわ……!