立ち読みコーナー
目次
256ページ
後宮護衛の偽妃ですが、陛下に愛されて困っています!   5
あとがき                        248
54ページ~

「わからぬか?」
 なぜか慶晶の視線にどきりとした。
 艶やかな目がひたと紫蘭に向けられている。
「私も若い男だ。眠れぬ夜もある」
「え……」
 つまり……?
「普段はなるべく抑えているがな」
 状況を理解せず立ち尽くしたままの紫蘭に慶晶が腕を伸ばしてきた。
 どんな攻撃にも咄嗟に反応するように訓練された身体が動かない。
 だが、すんでのところで我に返り、紫蘭はその腕からすり抜けた。
 慶晶はまさか逃げられると思っていなかったのだろう、少し意外そうな顔をしている。
「なぜ逃げる。私は皇帝だぞ?」
 その言葉にぎくりと動きが止まる。命じられて逆らっていいものか、紫蘭は迷った。
 だが、このまま慶晶と一夜を過ごしていいはずがない。
 紫蘭は、本物の妃ではないのだ。
「おそれながら……わたくしは、まだ後宮に入ったばかりの、不調法者でございますので……その、なにかと至らないかと……」
「夜伽を辞退すると?おかしなことを申す妃だな」
 じりじりと後退っていた紫蘭の腕をついに慶晶がとらえた。
「内院で見た時から、そなたのことは気になっていたのだ。この邸を訪れたのはたまたまだったが、巡り合わせと思うとおもしろい」
 引き寄せられそうになり、紫蘭はついにするりと腕から逃げ出し床に平伏した。
「も、申し訳ございません。わたくしは、夜伽を務めるわけにはいかないのでございます」
 どうしてこんなことになっているのだろう。
 なぜ……!
 だが、もう事情を明かすしかこの場から逃れる術はない。
 紫蘭は言葉を無理矢理絞り出すよう告げた。
「わたくしは、『桔梗』の者なのです……っ」
 言ってしまった。
 激しい後悔に紫蘭は気が遠くなりそうになる。
 皇帝も『桔梗』の存在は知っているという。だからといって、陰から皇帝を守るための存在なのだ。自ら『桔梗』だと明かすなどもってのほか。皇帝に仕える者は大勢いる。だが、大局を見なくてはならない皇帝が、仕える者に心を砕くことはあってはならない。皇帝の心を煩わすようなことは極力避けねばならないのだ。
「なるほど『桔梗』なのか、そなたは」
 それで合点がいった、と慶晶は続けた。
「犬を追い払った時、あの枝を投げた腕のしなやかさ。只者ではないと気になっていたのだ」
 そんなふうに認識されるなど思ってもみなかった。
「ですから、何卒ご容赦ください……っ」
 紫蘭は床に額を擦りつけて懇願した。
 これでお終いだ。
 紫蘭は『桔梗』の任を解かれるかもしれない。
 こんなすぐに……なにもできないまま……。
 平伏したまま震えている紫蘭の腕が取られた。
「え……?」
 思わず顔を上げると、すぐそこに慶晶の顔があった。
「『桔梗』だからなんだというのだ?」
「は……」
 紫蘭は呆然と慶晶の顔を見返した。
「私はこの後宮で、后妃だけでなく、女官でも好きにできるのだ」
「で、でしたら、わたくしで……なくても……っ」
 後宮には目移りするほどの美姫が大勢いて、皆皇帝の寵を求めているのに。
「確かに、今宵は誰でもいいと思っていたが……そなたがいい」
「……っ」
「『桔梗』、紫蘭。そなたに皇帝として今宵の伽を命ずる」