立ち読みコーナー
目次
312ページ
プロローグ             5
第一章 新人事務官着任       8
第二章 楽しい休日         64
第三章 嫉妬            108
第四章 驚きの求婚         132
第五章 大公妃見習い        175
第六章 雑草育ちでよかったです   255
エピローグ             304
あとがき              310
プロローグ

 その日、エスマール帝国一の大貴族が妃をめとった。
 結婚式は、帝国最大の聖堂『エルター大聖堂』で行われた。
 皇族、貴族だけではなく、属国の王族や貴族までもが招かれた盛大な挙式である。
 来賓の人々は皆、花婿であるアンジェロの美貌に圧倒されていた。
「三国一の花婿様だ……!」
「なんてお美しいお方なの」
「見て、すごい花婿様! すごいわ!」
 アンジェロが当主を務めるハーシェイマン大公家は、エスマール帝国の筆頭貴族である。四大公爵家を統括する名門だ。
 だがアンジェロは社交界にはめったに顔を出さない。
 有能で、剣の達人で、容姿は怖いほど綺麗で……他者に誇れる要素は山ほどあるのに、黙々と自分の義務をこなす日々を送っているからだ。
 ゆえに初めてアンジェロの姿を見た人間が多く、皆その美貌に圧倒されていた。
「おめでとうございます! アンジェロ様万歳! アンジェロ様万歳! ハーシェイマン大公閣下万歳! 宵闇騎士団万歳! 花嫁様も万歳!」
 花嫁のエリィは、傍らの花婿、アンジェロをちらりと見上げた。
  ——みんながアンジェロに注目している……無理もないわ、だってこんなに綺麗な人なんだもの。
 アンジェロは金髪に、青い目の美丈夫だ。
 切れ長の目に凜々しい顎の線。
 通った鼻筋と薄い唇が、華やかな美貌に清冽さを添えている。
 波打つ長い髪は、左側にまとめてゆるく三つ編みにし、結び目に一輪だけ白いバラを飾っていた。
  ——本当に、絵から抜け出してきたみたいな花婿様。素敵すぎるわ。
 一方のエリィは平凡な娘である。年齢はアンジェロより七つ下の十八歳だ。
 髪の色は明るい茶色で、目の色は緑。背は平均より高く、やや痩せている。
 決して不細工ではないはずなのだが、アンジェロの傍らに立つと地味な娘であることは否めない。しかも家柄もたいして高貴ではない。
  ——こんなにも花婿だけに注目が集まる結婚式、他にないかも!
 口元をほころばせたとき、エリィの頭の上から静かな声が降ってきた。
「エリィ、疲れましたか?」
 アンジェロの青い目がまっすぐにエリィを見つめている。彼と腕を組んだまま、エリィは小声で答えた。
「大丈夫です」
 その答えにアンジェロが微笑む。
『大公閣下』の優しい笑顔は、ただエリィだけに向けられていた。
 二十五歳まで婚約さえ拒んでいた孤高の大公閣下が、突然下級貴族の娘をめとった。
 しかもその娘は、びっくりするほど地味だった。
 世間は『アンジェロが政略結婚から逃げるために契約結婚をした』とか、『同性愛者であることを隠すための偽装結婚だ』『黒魔術で洗脳されたのでは』などと言いたい放題だ。
 だがエリィは悪い噂を一切気にしていない。
 この結婚は、お互いの意思で決めた『恋愛結婚』だし、アンジェロと心通わせ、彼を愛して妻になることを決めたからである。
 誰が信じるだろうか。
 この高貴な絶世の美青年がエリィの両親に土下座して『僕の全力をもって幸せにします。どうかエリィさんとの婚約をお許しください』と額を床にこすりつけた、なんて。
「やっぱりエリィはこの世で一番可愛いうえに綺麗ですね……」
 蕩けるような笑顔で囁きかけてくるアンジェロに、エリィも笑顔で答えた。
「ありがとう。アンジェロこそ、本当に綺麗だわ」

 第一章 新人事務官着任

『見てなさい、ママは男に媚なんか売らずに、あなたに毎日ごはんを食べさせてあげるからね!』
 国王の寵姫の任を解かれたとき、エリィの母アリッサは十九歳だった。
 母アリッサの実家は、エスマール帝国の属国、ペーリー王国の貧乏伯爵家である。
 祖母は帝国から嫁いできた下級貴族の娘で、ペーリー王国にやってきてからも『帝国流マナー』にこだわり続けたそうだ。
 もちろん母は、それは厳しく帝国流マナーを叩き込まれた。
 そしてある日、王宮の小さなパーティで国王に見初められてしまったのだ。
『なんと優雅で可愛らしい令嬢なのだ……!』
 母はたったの十六歳で『寵姫』として軟禁され、一度も家に帰してもらえないまま国王に抱かれてエリィを産んだ。
 国王の頭は大丈夫か、と囁かれるほどの寵愛ぶりだったらしい。
 だがエリィが二歳のとき、王妃がとうとう爆発した。
『あんたばっかり陛下に抱かれて! なんなのよ!』
 王妃に理不尽にどつき回された母は『王家最凶』と噂の王太后に訴えた。
『国母にふさわしいのは美しく気高い王妃様です! 私が産んだ子のことはお忘れください、私ども親子を追い出してください、どうか……!』
 王太后は、王位継承権から身を引いた母の無欲を評価し、金貨十枚を与えて城から放り出した。そして、母に追いすがろうとする国王の鳩尾に重い一撃を食らわせたらしい。それも噂で、母も現場は見ていないそうだが。
 その後、母は実家から『帰ってくるな、ふしだらな娘はいらない』と拒まれ、エリィを抱いて丸一日泣いたという。
 涙が涸れ尽くしたあと、すべてを踏み台にしてのし上がってやると決めたそうだ。
『ママの実家はお金がないの。お金がないって心がないのと同じなのよ。だからこぶ付きのママに帰ってこられても困るんですって。ママを迎えに来なかったのも、あの馬鹿……じゃなくて国王陛下からお金を受け取っていたからなのよ。でもママは絶対に、エリィを守るわ』
 母が始めたのは女性向けのマナー教室だった。
 エリィを親切な八百屋のおばさんに預かってもらい、母は女性向けのマナー講座を開いた。
 なんと、自分が『王宮から追い出された寵姫』であることを明かして客を集めたのだ。
『気になる殿方に振り向いてほしいそこの貴女、国王陛下のお心を掴んだわたくしの手の内をすべて明かしますわ』
 そう言って、きっちり帝国流マナーを教え込んだらしい。
 評判は上々、噂の『愛されすぎて王妃に叩き出された寵姫』が、男の気を惹いてやまない振る舞いを教えてくれるらしいと、別の町からも生徒がやってくるほどになった。
 そしてちゃんと帝国流の正式なマナーを学んで卒業していった。
 王太后からは『子育てを頑張る貴女に免じて、王家の恥を語る商売を見逃してあげましょう』という手紙までもらったという。
  ——あの頃はお金がなくって、本当に大変だった。変な草を食べては死にかけたり。でも私は丈夫なお腹に育ったから感謝だよね。お母さんには感謝しかない。
 かくして母は田舎町でお金を貯め、エリィを連れて帝都に出てきた。
 帝都のマナー学校の講師採用試験を受け、そこで一番の教師になったあとは、独立してマナー教室を開いた。
 こちらでは一般の授業に加え、女性をうまくエスコートできない男性、自信のない男性に助言する『素敵な殿方になる秘訣』という授業も始めて、大人気になったのである。
 そして母は、その授業で出会ったクレイガー男爵に求婚された。
 娘を抱え、自らの才覚だけで生き抜いてきた母の目はとても厳しかったらしい。
 だが母より三つ年下のクレイガー男爵は、母の『審査』に合格した。
『今までたくさんの人にプロポーズされたけど、あんなに素敵な人はいなかったわ』
 こうして母は、エリィが十三歳の時に『クレイガー男爵夫人』となったのだ。
 しかし……。
 エリィは継父と母の熱々ぶりにいたたまれない日々を過ごすことになった。
 母はまだ若かったので、結ばれてすぐに赤ちゃんを授かったのだ。
  ——新婚家庭のお邪魔虫でいるのがちょっと……。
 笑顔で大きなお腹に手を当てる母と、その手に己の手を重ねて幸せそうに微笑む継父。二人の世界の横で微妙な距離感を保ちつつ、礼儀正しくニコニコしている自分。
 優しくて男前な継父のことは大好きである。
 もちろん命がけで育ててくれた母のことも心から愛している。
 だが家を離れたかった。
 裕福で優しい夫を得、やっと人並みの幸せを掴んだ母に、連れ子の自分を気にすることなく幸福な新婚生活を満喫してほしいと思ったからだ。
 そんなある日、継父が言った。
「エリィは全寮制の学校に行きたいと言っていたよね」
「はい、でも女の子用の全寮制の学校はないんですよね?」
「知人に言われて思い出したんだが、帝国軍の士官養成学校が女子にも門戸を開いているんだよ。そこも全寮制なんだ。でも授業が厳しいし、到底女の子に勧める気には……」
「行きます」
 エリィは即答した。
「私には剣の才能とかないと思うので、帝国軍の事務官を目指せたらなと思うんです。もちろん基礎訓練とか大変だと思うんですけど」
「でも君が家を離れたら父さんも母さんも寂しいよ。それに帝国軍の寮生活なんて厳しいから心配だ。女学校に通って、うちからお嫁に行くのでは駄目なのか?」
 継父は本当に優しい人なのである。エリィの胸が痛んだ。
「本当に軍で働いてみたいんです! えっと、制服とか筋肉とか格好いいから」
「わかった。では僕の知り合いに帝国軍士官学校の職員がいるから、彼に君の進学について相談してみよう」
 継父はそう請け合ってくれた。
 こうしてエリィは一ヶ月後、士官学校の門をくぐることになったのだ。